2015年7月26日日曜日

山崎晃資「高機能広汎性発達障害の診断マニュアルと精神医学的併存症に関する研究」を読む(その2)

山崎晃資「高機能広汎性発達障害の診断マニュアルと精神医学的併存症に関する研究」『高機能広汎性発達障害にみられる反社会的行動の成員の解明と社会支援システムの構築に関する研究』平成17年度 研究報告書

その1の最後の箇条書きを再掲します。
  • 442名中、29例(6.5%)が「著しい反社会的行動」を示している。
  • 442名のうち、18歳以上は197名、18歳以上でHPDDの診断がされているのは44人(22.3%)
  • 29例の内訳としては、HPDDまたはASと診断されているのが11例(38.9%)
  • 仮に、i.「著しい反社会的行動を示しているのはすべて18歳以上のケースである」、またはii.「年齢層を問わず、相談者のうちで高機能広汎性発達障害と診断される人は22.3%程度である」のどちらかが当てはまれば、単純に上記の22.3%と、38.9%を比較することはできるかもしれない
  • つまり、22.3%しかいないはずのHPDDの人が、反社会的行動を示している人の中では38.9%であり、HPDDの診断があると反社会的行動に至る可能性が比較的高いと言えるのではないか
  • ただし、HPDDの診断がついているといえど、反社会的行動に至っていない人の方が多いこと、HPDDの診断がついていなくても、反社会的行動に困って発達障害者支援センターに相談に来たケースがいることも事実である
井出氏の記事では、「高機能広汎性発達障害者の11.1%に反社会的行動が見られたということになる。」としていますが、私の前記の試算からすると、44人の内、11人に反社会的行動が見られた、すなわち、最大で25%、という風にも見積もることができます。相当高いですね。まぁ、そうだとしても、1:3で反社会的行動を取らない発達障害者の方がまだ多い、とも言えますが。

高機能広汎性発達障害の出現率がどれぐらいかは諸説ありますが、仮に0.5%としてみましょう。東京都の人口1300万人の内、0.5%、すなわち6万5千人が高機能広汎性発達障害で、その内、25%、つまり1万6千人が著しい反社会的行動を繰り返す、「危険な発達障害者」なのでしょうか。うーん、そうだとしたら怖いですね。

前記事で、平成16年度は発達障害者支援センター開設からまだ日が浅く、現在の相談件数から比較するとはるかに相談件数が少ないことを書きました。そんな、なんだか得体の知れない新しい相談機関に行くのは、何かをすごく心配していたり、あるいは大変な思いをしていたりして、藁をもつかむ思いの方なんじゃないかと私は思います。ただ単に「この子/人は発達障害なんじゃないか?」というだけでなくて、「一刻も早くなんとかして欲しい」という方ほど、こうした新しい相談機関に早くにつながったんじゃないでしょうか。

このことは、「著しい反社会的行動」を示している29人の内、高機能広汎性発達障害ではない人が18人いた事とも結びつきます。この研究の時期に、発達障害者支援センターに相談に行ったのは、東京都民1300万人のうちで、特に深刻な相談ニードを抱えていた人の頻度が高くなる、というようなサンプルの偏りはどうしたって出てくることでしょう。この平成16年度のデータを元に、発達障害者の内、11.1%~25%が「著しい反社会的行動」を示している、とたとえ言うにしても、それを発達障害児・者全体の傾向と敷衍するのはやや乱暴な議論かなと私は思います。

さて、原文ではどんな考察がなされているかに戻ります。

1)センターで相談を受理したケースなかでは(引用註:原文ママ)、反社会的行動を表しているものが対応に困難を来した。家庭内へのひきこもりやこだわり行動の表出が長期化しており、家族、とくに母親に対する支配的態度や暴言・暴力、器物破損が繰り返されている例が多かった。家族による対応が困難となり、110番通報をして警察の介入を受け、措置入院または医療保護入院になるが、短期間で退院してまた同じような経過を経て入院となるという状態を繰り返している例も多かった。
一方、家庭外で様々な問題を起こしている例もある。(略)
社会支援システムの構築、特に継続的に対応し得る精神科医療システムの構築が急務である。2)さまざまな非社会・反社会的行動を繰り返す人たちの中には、医療機関に入院したり、定期的に通院している例もあるが、本人自身の生活全体をとらえた対応がなされているのは非常に少ない。とくに精神科医療施設におけるHPDDの人々への対応は、必ずしも適切であるとは言い難い状況にある。(略)HPDDやASDの人々との継続的な関わりを経験していない精神科医の場合、見落としてしまったり、対応を誤ったりすることがある。一方、ASが注目されるに従い、少しでも変わった様相を呈する症例に出会うと安易にASと診断する傾向も見られる。


ここまでストレートに書いていて、これは何かを「隠蔽」するための書き方と読めるのでしょうか。また、「精神科医療が白旗を揚げている」と読めるのでしょうか。

私はそうは思いません。

どう見たって、従来の精神科医の知識・ノウハウや、統合失調症などの精神病的な疾病に対する狭義の医学的な入院治療・外来診療のスタイルでは不十分なため、より広い視点を持った新たなシステムを作っていこう、という前向きな姿勢にしか読めません。

これを、「白旗」とくくるのは、端的に言って、悪意に基づいた曲解でしょう。

そして原文の研究1、結論はというと。
従来、HPDDの人々の不適応行動は、全て発達障害に起因するものと考えられ、十分な精神病理学的検討がなされずに画一的な対応がなされてきた。一方、現在の操作的国際診断基準(引用註:DSMなどのこと)を発達障害の人々に適応する(引用註:原文ママ)場合、様々な問題に出会う。発達障害の人々に見られる精神医学的併存症(引用註:反社会的行動を併存症の一つとしている?)の診断は、それぞれの診断基準を発達レベルにあわせて修正する必要がある。そのためには、精神発達、対人スキル、コミュニケーションなどのキーワードを視野に入れた「発達精神病理学」を確立すべきである。
なんだか話があれこれすっ飛んでいて、やはりこの総括ではなく個別の研究報告を読みたくなりますが、普通に読解するならば、一口に「発達障害」といってもそのあり方の多様性があることが話題になっているのは明らかでしょう。DSMのような基準に基づいて診断に当てはめるようなやり方ではなく、一人一人の発達レベルに合わせた見立てを行っていくことで、発達障害の中心的特性ではない、でもある程度の類型性を持った併存症、たとえば反社会的行動などを予見し、予防していこう、という風に読めるのではないでしょうか。

次のその3では、研究2を取り扱う予定です。

2015年7月25日土曜日

山崎晃資「高機能広汎性発達障害の診断マニュアルと精神医学的併存症に関する研究」を読む(その1)

山崎晃資「高機能広汎性発達障害の診断マニュアルと精神医学的併存症に関する研究」『高機能広汎性発達障害にみられる反社会的行動の成員の解明と社会支援システムの構築に関する研究』平成17年度 研究報告書

さて、この分担研究はさらに5つの研究を含んでいるので、1つずつ見ていきます。論文のお作法として、「研究方法」、「研究結果」、「考察」、「結論」と並んでいるのですが、それぞれの研究ごとこの方法・結果・考察・結論をまとめるのではなくて、全体で節割されてるので、やや読みにくいですね。なので、まず研究1「高機能広汎性発達障害の人々への精神科医療の対応」から見ていきます。

対象は平成16年度に東京都発達障害者支援センターで山崎先生が関わった442名、その中で特に「著しい反社会的行動を示した28例」、中でも3例の事例研究をしたというもの。このセンターは開設が平成15年なので、まだ開設したて、世間での発達障害のイメージ・理解も今とはまだだいぶ違う時期なことに注意は必要ですね。

山崎先生が関わった442名、というのが相談ケースの中でも一部の特に重症度が重い、または軽いケースという可能性があるので、センター全体の業務統計を調べてみます。残念ながら平成17年度以降に限られてしまうものの、発達障害情報・支援センターで全国の発達障害者支援センターの相談件数統計が見られました。

表1.東京都発達障害者支援センターの平成17~19年度、25年度相談件数
17年度18年度19年度・・・25年度
相談支援451616834・・・2395
発達支援839386・・・286
就労支援172727・・・58
この統計上の傾向からすると、平成16年度に山崎先生が関わった442名、というのは多分、同センター利用の全ケースと推測してそれほど間違いはなさそうです。また、確認できる最新の統計値からすると、センター開設から日が浅い事による施設の認知度や事業規模、世間での発達障害自体についての認知度の低さなどのために、潜在的な相談ニードに対して、この442名という相談者サンプルはかなり限られた一部ではないかとも考えられます。

研究結果は①~④に分けられており、①は相談者の年齢分布、②は18歳以上の相談者とその医学的診断、③は家族・本人・支援者からの相談内容、④は「著しい反社会的行動」を示した29例について、となっています。まず、①の年齢分布について、パーセンテージを実数に直しつつ表に起こしてみます。

表2.東京都発達障害者支援センターの平成16年度相談者の年齢分布
6歳未満小学生中学生10歳代後半20歳代30歳代40歳代50歳代以上
20.1%16.1%11.1%a %23.3%12.7%c %2.0%
89人71人49人b 人103人56人d 人9人
一部省略されていてよくわかりませんね。a + b = 14.7 %、c + d = 65 人になる計算です。ただ、20代をピークとして単調減少傾向と推測されるので、40代の相談件数はそれほど多くないだろうとは当たりはつきます。また、10歳代後半以上の相談者は233人となります。

次に②を見ると頭を抱えることになります。いきなり、「18歳以上の対象者で…」というような言葉が出てきますが、18歳以上の実数がわかりません。しかたない。ひとまずほっておきます。知的障害の有り・無し・不明に分けた上で、診断名の有無を挙げていますね。これ、表に起こしにくいですが、無理やり起こしてみましょう。

表3.東京都発達障害者支援センターの平成16年度18歳上の相談者の知的障害・診断名の分布
知的障害有り発達障害、ほか未受診・未診断
21.3%4.1%
知的障害無しHPDDADHD、LD、ほか未受診・未診断
22.3%18.8%24.4%
知的障害不明全数
9.1%
この18歳以上というのが実数が結果から読めないですが、上記表2の「10歳代後半」の内で17歳までの人数が0人~65人と不定なのを元に、168~235人ぐらいの範囲と推定されます。そうすると、22.3%の高機能PDD(HPDD)の人数は、37人~53人となりますか。もうちょっと絞れるといいんだけど。

よし、じゃあ、168~235の整数について、4.1%、9.1%、18.8%、21.3%、22.3%、24.4%の人数を計算して四捨五入して整数化、それをまたパーセンテージに直すのをエクセル力技でやってみれば絞れるかもしれない。っていうことでやってみたら、197人の時のみ、6個のパーセンテージ値がちゃんと一致することがわかったので、「18歳以上」は197人と見なして多分間違いないでしょう。そうすると、上記表3をパーセンテージ値から実数に変えられます。

表4.東京都発達障害者支援センターの平成16年度18歳上の相談者の知的障害・診断名の分布
知的障害有り発達障害、ほか未受診・未診断
42人8人
知的障害無しHPDDADHD、LD、ほか未受診・未診断
44人37人48人
知的障害不明全数
18人
この人数にはまたあとで戻ってくるとして、一旦先へ。③のうち、家族からの相談はこんな風。
  • 就労できない
  • こだわりや自分本位の生活の仕方のために、他の家族との関係が悪化している
  • 家庭内暴力により家庭生活が著しく不安定な状態に陥っている
  • 親亡き後の将来が不安
本人からの相談はこんな風。
  • 発達障害専門の医療機関を紹介してほしい
  • 学校や職場などでの人づきあいの仕方を教えて欲しい
  • 自分自身の不安や葛藤状態への対処法について相談したい
  • 年金や障害者手帳の取得方法を教えて貰いたい
  • 親亡き後の生活について不安である
支援者からの相談はこんな風。
  • 本人との意思疎通ができにくい
  • こだわりやパニックなどへの対応が困難である
  • 受け皿となる場や人がない
  • 親子関係の調整が困難である
この中で、いわゆる反社会的行動や犯罪と関係するのは、家族からの相談の「家庭内暴力」と、支援者からの相談の「こだわりやパニック」「受け皿」という当たりがあてはまりそうです。この列挙順が多い順かどうかは不明だけれども、実感としてはまぁ納得がいく感じはします。

さて、最後の④。
442例中、著しい反社会的行動を示したのは29例(6.5%)であり、この中で、HPDDまたはASと診断されたのが11例(38.9%)、精神科病院に入院したことのあるのが8例(27.6%)であった。
ということなんですが、この時、この29例というのは、さっきの「18歳以上」ということに限定されるのかどうかが不明で解釈に困ります。言い方を変えると、「18歳以上」については診断名がついている人のパーセンテージが明記され、そこから実数が計算できるのに対して、18歳未満の人についてはそもそも診断名の確認がされているかどうかもわかりません。この辺がややこしいので、この同じ文献を読んだ井出氏の昔の記事ではこんな風に書かれています。
442人の中で高機能広汎性発達障害の診断が下りているのは22.3%なので人数に直すと99人。その中で著しい反社会的行動が見られたのが11例。これを割ってみると、高機能広汎性発達障害者の11.1%に反社会的行動が見られたということになる。目安としては1割というところになる。
7年も前の記事を捕まえてどうこう言うつもりはないんですが、少なくとも、「442人の中で高機能広汎性発達障害の診断が下りているのは22.3%なので人数に直すと99人」という点は誤読だと思われます。22.3%というのは原文では18歳以上の相談者についての割合と読めますので。上記のようにめんどくさい計算を経て出した、18歳以上でHPDDの診断がついている人は44人(表4.参照)、という数は扱えても、「18歳未満で高機能広汎性発達障害の診断が下りている人数」は不明、としかしようがないと思います。

ただ、この点について、原文の論運びを好意的(?)に解釈して、HPDDの診断の有無について明記されていない18歳未満については集計されていないと見るならば、②で記されている22.3%(44人)のHPDD診断者のうち、④11人が「著しい反社会的行動」を示し、またHPDDの診断がついていない人についても18人が「著しい反社会的行動」を示した、と読むことはできるかもしれません。やや乱暴ですが。あるいは、「年齢層を問わず、相談者のうちで高機能広汎性発達障害と診断される人は22.3%程度である」という井出氏の読み方も実態に近い可能性はあります。ややこしいので箇条書きにしてみます(表にするのを諦めた)

  • 442名中、29例(6.5%)が「著しい反社会的行動」を示している。
  • 442名のうち、18歳以上は197名、18歳以上でHPDDの診断がされているのは44人(22.3%)
  • 29例の内訳としては、HPDDまたはASと診断されているのが11例(38.9%)
  • 仮に、i.「著しい反社会的行動を示しているのはすべて18歳以上のケースである」、またはii.「年齢層を問わず、相談者のうちで高機能広汎性発達障害と診断される人は22.3%程度である」のどちらかが当てはまれば、単純に上記の22.3%と、38.9%を比較することはできるかもしれない
  • つまり、22.3%しかいないはずのHPDDの人が、反社会的行動を示している人の中では38.9%であり、HPDDの診断があると反社会的行動に至る可能性が比較的高いと言えるのではないか
  • ただし、HPDDの診断がついているといえど、反社会的行動に至っていない人の方が多いこと、HPDDの診断がついていなくても、反社会的行動に困って発達障害者支援センターに相談に来たケースがいることも事実である

さて、長くなったので一回切って続きはその2へ。

山崎晃資「高機能広汎性発達障害の診断マニュアルと精神医学的併存症に関する研究」を読む(その0)

発達障害と犯罪との間に、どのような関係があるか、研究報告書の原文が特に隠蔽されることもなく見られるようになっているのでちょっとずつ読んでみましょう。

何度も書いてますが、私は
  • 発達障害特性を持つ子ども/大人で犯罪に至るケースは存在する。
  • ただし、発達障害特性のありかたは個人差がものすごく大きいため、割合は不明だが、全員ではなく一部である。
  • 発達障害特性=犯罪者予備軍と見なすようなイメージが強まってしまうと、適切な早期発見・早期療育をむしろ妨げる事になるため、「一部を全部」と捉えるような見方は適切に抑制されるべき。
  • このように一部を全部の見方に釘を刺すために、私を含め、「『発達障害=(全員が)犯罪者』ではない!」という主張をする人は少なからずいるにしても、それは「発達障害児・者は犯罪を行わない!」という意味では決してない。そう言っているかのように曲解をする人がいるようだけど。
  • 犯罪に至る一部のケースについては、発達の凸凹により社会適応が困難という意味で、間違いなく発達障害特性を持っているのであり、決して発達障害児・者の「例外」などではない。
  • そのため、十把一絡げにするのではなく、本人の凸凹の形に合わせた「療育」を早期から行っていくことで、成長の後押し、犯罪の予防は可能なはず。
という考えです。



さて、ときどき取り上げられている報告書にこんなのがあります。

山崎晃資「高機能広汎性発達障害の診断マニュアルと精神医学的併存症に関する研究」『高機能広汎性発達障害にみられる反社会的行動の成員の解明と社会支援システムの構築に関する研究』平成17年度 研究報告書

これを読み解いていこうとおもったのですが、その前に研究の文脈から。



どういう文脈でなされた研究かというと、厚生労働科学研究費補助金の中の、「こころの健康科学研究経費」(社会・援護局障害保健福祉部企画課の所管)で、平成16年度平成17年度平成18年度の3年度にわたって助成された「高機能広汎性発達障害にみられる反社会的行動の成因の解明と社会支援システムの構築に関する研究」の分担研究(一部ってこと)です。

上記の年度のリンクを辿るとわかるように、この「こころの健康科学研究経費」というのは別に発達障害に限った研究助成ではなく、広く精神科領域全般に渡る研究助成です。なお、平成22年度からは、同じ所管課の研究経費は「障害者対策総合研究経費」というものに代わっています。

研究費の助成はどれぐらいの額かということは上記で公表されていて、平成16年度は1563万円、17年度は1485万円、18年度も1485万円です。世間一般の感覚からすると目が飛び出るような額だと思いますが、他の研究、たとえば18年度の「医療観察法による医療提供のあり方に関する研究」は5000万円出ています。端数の細かさからは、ざっくり研究経費をせしめておけ!みたいなことが多い研究業界ですが、ずいぶん細かく予算計画を立てて申請したんだろうなあと感じさせられます。


「厚労省が予算を出していたのを打ち切った!これは不都合な真実を隠すためだ!」みたいなことをいう人もいるかもしれませんね。上記のリンクをちょっとでも辿ればわかるように、普通の人が知らないところで、将来を見据えていろんな研究がなされています。その中のあるテーマがある年度で終わっているからといって、国の陰謀を説くのは無理筋ではないでしょうか。

また、「発達障害と犯罪の関係性が見えてきたから慌ててそれ以降の研究を自粛しているんだ!」というような陰謀論を説く人もいるようですね。こうした科研費の申請は、この場合は厚労省、ほかには日本学術振興会などが大枠の条件を提示して募集して、それに対して研究者が「◯◯の意義がある研究を、□□のようにしていくつもりなので、△△の予算をください」と申請して、認可されたり落とされたりしてます。研究者が自分の研究したいことと、どんなテーマなら認可を受けやすいかということのすり合わせを行いながら申請を行う時にはあれこれ非常に苦心しています。「高機能広汎性発達障害にみられる反社会的行動の成因の解明と社会支援システムの構築に関する研究」という3年間のプロジェクトがすでに終わった後に、そことどう差別化していくか、どういう点を打ち出せば新奇性を認められて予算がとれるか、多分、多くの研究者の先生たちは、「発達障害者の一部はどうしても犯罪への親和性を持ってしまうリスクがあるから、早期発見・早期療育のための研究をしよう」という方向性でテーマを工夫されているのでしょう。たとえば、発達障害・情報支援センターの「厚生労働科学研究成果データベース」というページを見ると、18年度以降の研究助成の採択状況が見えます。

こうしたことを踏まえて、それでも「発達障害と犯罪の関係性を隠蔽している!」と考えたい人もいるのでしょう。ひと通りこの分担研究の中身を読んだ後にまたその議論に戻ってこられればと思います。(個人的には、そんなアタリマエのことを針小棒大に騒ぎ立てる人の気はしれないので、最後には忘れてるかもしれません)



さて、なかなか中身に入れなかったのですが、せめて研究目的だけでも見ておきましょう。

青少年の反社会的行動(犯罪)が起きるたびに、加害者である青少年の心理状態が安易に論評され、行為障害、解離性障害、境界例、さらにはHPDDやASなどの診断名分類が新聞紙上をにぎわす。このためにHPDD(引用者註:高機能広汎性発達障害)の人々およびその家族は誤解・無理解・差別に悩まされ続け、時にはその人格をも否定されるような極論に曝されている。(略)
 本分担研究では児童青年精神科医療の観点から問題の究明を試み、HPDDおよびASの診断マニュアルを整理し、併せて乳幼児期からの早期発見・早期療育とそれによる反社会的行動の予防的研究についても検討することにした。
ということになってます。また時間が取れたら、少しずつ書いていきましょう。

2015年4月2日木曜日

自閉症とイマジネーションと数字について (世界自閉症啓発デーコラボ記事)

ここの方で、自前の記事を書くのは初めてになりますね。Twitterではいつもあれこれと書いたりRTをしたりなのですが。



Twitterでいつも読ませてもらっているなないおさんがこんな企画をされていました。

【募集!】4月2日の世界自閉症啓発デーに向けて啓発記事をコラボしませんか?

一般的な自閉症の記事については大勢の方がもう書いていらっしゃるので、自閉症をはじめとした発達障害の早期相談・療育機関である療育センターに少し前まで勤めていた心理士として、ややバッサリ目の話を行き当たりばったりに書こうかと思います。締め切りをもう過ぎている気もしますけど…



自閉症というものの最も大きな特徴は、人の性格や心理状態、病気、障害などを表すさまざまな言葉のうちで、知っている人の抱くイメージと、知らない人の抱くイメージが大きくかけ離れていることが挙げられるでしょう。

知らない人からすると、気持ちが落ち込んでふさぎこんでいる状態・一人にしておいて欲しい状態を「自閉症ぽくなった」と言うようなイメージだったり、引きこもり状態にあることを「○○さんちの子が自閉症で学校に行かないのよ」と言うようにうわさしたりすることも多いのではないでしょうか。

ちょっと知っているつもりの人からすると、電車の中や駅などで(知らない人から見ると)不審な動きをしている人が「自閉症」の典型的な例かもしれませんし、あるいはネットの一部で悪口として頻用されている「アスペ」こそが発達障害の中心で、自閉症そのものだ、と思っている人もいるかもしれません。

そして、今回さまざまな記事を書かれている保護者の方・当事者の方は、とても深い知識を持っていて、たとえば自閉症の早期発見に携わるはずの保健師さんなんかよりもはるかに詳しいことも珍しくないでしょう。



さて、今回の企画は「啓発」ということなので、自閉症について広く知ってもらうこと、正しい知識を広めることが目的となるのですが、どうしてわざわざ啓発しないといけないほど、人によってイメージがバラバラで、正確な知識が知られていないのでしょうか?

私の思うところでは、一つには自閉症的な特性を持つ人があまりにも多いのと同時に、もう一つには、自閉症というものが本質的にはとても重い、シビアな障害だから、というのが仮説です。



お医者さんによっては、自閉症的な傾向を持つ人はその程度のごく軽い人まで含めれば、10人に1人にものぼる、という説を唱えている先生がいます。さまざまな調査結果があり、その一つは「医師による診断ではない」「教育現場での水増しだ」とよく批判されていますが、小学校の通常級に6%程度発達障害特性を持つ子どもがいるという説もあります。6%というのは、33人のクラスに2人ぐらいいる、というレベルです。
ちなみに、特に自閉症とは全く関係がないのですが、干支や星座は均等に分散していると考えるならそれぞれ約8%、血液型はAB型が約10%ぐらいです。割合としてはおなじぐらいですね。

その一方で、重度の自閉症を抱える子ども・大人に対して、適切な関わり方ができる人は極めて少ないのではないでしょうか。どのぐらい少ないかというと、専門の施設や特別支援学校・支援団体などですら、不適切な対応・虐待・事故がおきるぐらいに、難しいことです。
重度の自閉症を抱える子どもは0.1%かもう少し多いぐらい、と考えられていますがそうしたタイプの子どもや大人とどうやって関わると良いかについて、専門的な知識と経験を身につけられる職業について、適切な経験を積める人はどれぐらいいるでしょうか。
ちなみに、これも特に自閉症とは全く関係がないのですが、血液型がRh(ー)の人は0.5%ぐらい、AB型でかつRh(ー)の人は0.05%ぐらい、という数字もありますね。あと、母子手帳に赤ちゃんのウンチの色を見るためのカラーチャートが載っていますが、あれを手掛かりに早期発見が期待される先天性胆道閉鎖症の発症率はおよそ0.01%ぐらいということですね。


私たちは、自閉症とはどういうことか、日常的な生活の中での感覚としてよくわかるようなところもあるし、あるいは全くわからなかったりもします。そして、私たち心理士のようにさまざまなタイプの自閉症のお子さんやそうでないお子さんを大勢見る場合以外には、「自閉症」という言葉と人生の中で出会うことは多分多くないことでしょう。出会い方次第では、とても深い知識をもつようになるし、出会い方次第では偏見を抱くだけになることも無理もないのだと思います。


どうすれば、こうした自分の知っている数少ない例だけを判断材料にすることなく、自閉症という言葉のもつ広い意味合いについてまるごとつかんでいくことができるか、そこはひとえにイマジネーションの働きにかかっているのではないでしょうか。
世界には私たちが思いもよらないような様々な生活習慣や文化を持った人たちが何十億人と住んでいます。その自分とは異なる生活習慣・文化を、たとえそれまでに聞いたことがなくても出会ったときに尊重して受け入れられるかどうか、たぶん簡単なことではありません。そして、ある文化について、たとえばアメリカ文化に慣れ親しんだらそれでインターナショナルな理解が身についたと言えるかといえば、そうではないでしょう。
多様な世界を、あまねく理解することは、全知の神さまにしかできないことでしょうし、あるいはそうした全てを見通すような理解を夢見て、マンダラのイメージを描くのかもしれません。


しかし、私たち人は、全知の神にはなれない代わりに、とても有効な武器を一つ、持っていると私は思います。
数字です。
世の中にいろんな血液型の人がいる、そのことを私たちは直感的に把握することは簡単ではありません。でも、「A型が4割、O型が3割、B型が2割、AB型が1割」といえばどうでしょうか。人によっては、頭の中で簡略化された人が5人ずつ2列で10人思い浮かんで、4人と1人、3人と2人と別れるように色分けされたり、文字が一緒に浮かんで見えるかもしれません。
もちろん、数が苦手な人もいます。数を聞いて頭の中で思い浮かべるなんて何を言っているかわからない、という人もおおいことでしょう。


一般的に、自閉症特性を持っていると、頭の中でイマジネーションを広げること、見たことのないものを言葉を元に思い描くことを苦手としていると言われています。しかし、その一方で、数にとても強い興味を持ち、直感的な数の理解力について極めて高い能力を持っている人もいますし、もちろんスペクトラム上に、まぁまぁ数が得意な人、ちょっとは数が得意な人、いろんな人がいることでしょう。


私たちはどうしたって不完全で、得意とする見方、苦手な見方がでてくるものです。でも、世の中にはいろんな見方があること、別の見方をすることで見えてくる世界の広さや豊かさがあると思い浮かべられれば、他者を攻撃するよりも、ほどほどの距離を持って共存していけるようにはならないでしょうか?
世界中にある国の数はおよそ200前後ぐらい、すなわち一つの国は世界の0.5%ぐらいと言えるかもしれません。あるいは、3000超あると言われる民族については、それぞれが世界の0.03%ぐらいと言えるかもしれません。


私が4月から新しい職場に異動した中で、一つとても感慨深い言葉をいただきました。
「ここには『普通』の人なんて一人も来ない」と。
そこは知らない人にとっては恐ろしいようなごく特別な専門機関ではなくて、その反対に、極端な生活・養育環境の厳しさがない限りは、誰もが何かの形で通っている建物・窓口なのですが。

どうか、自閉症ということについて、いろんな方が今持っている色眼鏡以外のメガネをレパートリーに加えられること、そして世の中には無数のメガネがあることが、少しでも知られていけばと思い、書きました。
まとまりませんが。

2014年8月28日木曜日

翻訳記事「自閉症を克服した子供たち」 (その6)

元記事:http://www.nytimes.com/2014/08/03/magazine/the-kids-who-beat-autism.html 
(The Kids Who Beat Autism By RUTH PADAWER, JULY 31, 2014)

カーマイン・ディフローリオくんも、フェインの研究で取り上げられた「最良の結果」の少年の一人です。幼児期には彼は何もきこえていないようであり、母親が反応を引き出せないかとわざと横で重たい本を落とした時にも、全く反応を示さない子どもでした。その代わりに彼は自分の中の世界にどっぷりと入り込んでいるようであり、飛ぼうとするかのように手をパタパタさせながら跳びはね、「ニーーーー!」と繰り返し叫んでいたのです。そしてそうではあるものの、不幸そうではありませんでした。

カーマイン君が2歳で自閉症の診断を受けた後は、自治体が提供する週3時間の療育を受け始めたのに加え、建設業を営む両親は週4時間の療育を自費で受けることにしました。その時のセッションのビデオで、セラピストがカーマイン君に身の回りのものの絵を見せて言葉を教えようとしている場面が残っています。牛乳の入ったグラスのカードが示されますが、カーマイン君の視線は泳ぎます。注意を引こうとして膝をたたき、名前を呼び、顔を動かす彼の目の前になんとか写真を差し出そうとします。彼はセラピストの向こうを透かして見ているようです。「ぎゅううううううにゅうううううう」とゆっくりと発音して見せます。目の前に写真を突き出して、自分の方に向くように彼の顎をぐいっと向けます。それがうまくいかないと、「注目!牛乳!」とまるめこもうとします。頭をつかんでセラピストの方を向くようにくるりとまた回します。「うーにゅ」とカーマイン君が声を出すと、「よくがんばったね!牛乳!」と応えます。その次には簡単な指示に従うことを練習させようとする場面です。「こうして」と自分の太ももをたたきながらセラピストが言います。すぐには何もしなかったものの、少しして彼は手を上げ、ひざにその手を落とします(訳註:ひざを叩くのと太ももを叩くのとを区別するのか・・・)。いい線いってます。「イエイ!」セラピストが叫びます。「いい子だねー!」と彼をくすぐり、喜んでキーと声を出します。

他のセラピストとのセッションでは、カーマイン君は練習をしたくない時に体を揺すりました。そうでなければ体をピョコピョコ上下させたりも。手をパタパタさせることもあります。これはセッションの中で興奮した時や、イライラした時、混乱した時、熱中したときによくする身振りであり、セラピストはそれを手で押さえます。こうしたものを見るのはあまり愉快なものではありません。当時の一般的な考え方としては、そのことに子どもが没頭してしまい、他の子どもを寄せ付けなくなってしまう恐れがあるために、反復動作は徹底的になくさなければならないというものでした。(こうした見方は今でも一般的ですが、子どもの動きを抑制する代わりに、多くの臨床家は別の動作へと置き換えていこうとします。一部の臨床家は、子どもの集中を妨げないようであれば、単にその動きを無視します。)

発達の遅れを持つ子どものための療育施設に通年のフルタイムで使い始め、そこで丸々一日集中的な行動療法を受けるようになって、カーマイン君はより速く吸収していきました。5歳になるひと月前の時に、複数の検査からなる評価報告書が家に届けられました。そこでは、彼のコミュニケーション、行動面、感覚面、社会性、日常生活スキル、手の巧緻性は定型発達の子どもと同レベルになったということが検査結果として記されていました。遅れていたのは、粗大運動能力だけになっていたのです。他の特記事項として、興奮した時に手をパタパタさせたり跳びはねたりすることがあると書かれていました。それについては、教師たちは「興奮をあらわすためのより適切な手段、例えば拍手することや人とハイタッチをすること」に置き換えていくよう促しました。幼稚園に入園する前には(訳註:日本で言う2年保育か1年保育?)、カーマイン君を診断した神経科医は彼にあってショックを受け、自閉症の特徴は基本的になくなったと明言しました。

カーマイン君は手のパタパタをやめさせるために周りの人たちがあれこれと奮闘したことを覚えていません。「なんで興奮が手のパタパタになっていたのかも思い出せないよ」と彼は付け加えます。「でも、どれだけ興奮していたかはハッキリと思い出せるんだ」。また、彼が6、7歳の頃にパタパタを妹にからかわれたこと、そしてそれからその衝動をコントロールしようと決めたことを覚えています。「パタパタしたくなったときには、手をポケットに入れるんだ。自分で思いついたんだと思う。2年はずっとイライラしてたよ。まるでニコッと微笑んだら、誰かに微笑んだらいけない、それは間違ってる、って言われるようなものだったから。でも時間が経つとしゅうかんになるでしょ。10歳か11歳ごろには、パタパタさせたいと感じることさえなくなったよ」。

幼少期のビデオで見たカーマイン君と、数か月前にあった19歳のカーマイン君とを重ね合わせるのは難しいです。今では、カーマイン君は快活で社交的で、目の合わせ方ややりとりの仕方に特徴的な身振りやくせは全く見られません。この秋にはボストンにあるバークリー音楽院の2年生に進級します。友だちのことも、授業も、一人暮らしの自由も、全てが大好きだと彼は話します。

その彼に、自閉症だった時のことを懐かしく思うことはあるか聞きました。「あの時のような興奮はもうないのがさびしいんだ」と彼は言います。「僕が小さかった時、僕はしょっちゅう最高に幸せだったんだ。体中をかけめぐり、内にとどめおけないほどの、究極の喜びだったんだ。それが、妹が僕をからかって、パタパタは人から見たら受け入れようがない変なことなんだと気づいた時に、消え去っちゃったんだ。今では本当にいい音楽を聞く時が、その時の喜びを感じる主な時かな。その喜びは今も体中で感じるけど、前してたように外に向かって見えるような出しかたはしないんだ」。

カーマイン君の母親のキャロル・ミグリアッキオさんは、小さかった頃、彼の成長を見るのがとてもワクワクするようなものだったことと、でもその後で彼のしている経験がどれほど普通じゃないかを痛いほどに気づかされていったことを話してくれました。はじめ、カーマイン君が療育施設で急速な進歩を遂げた時、両親はおおっぴらにその喜びを話さずにはいられなかったと言います。「その時の私たちは、こんな風でした。『ああ神様!ケーキを分けたわ!しゃべってるわ!よくなって行ってるのね!』と」。しかし彼の療育仲間のほとんどは、ずっとゆっくり成長していることにもすぐに気づいたのです。「後ろめたかったわ。この子は山を登って、他の子は登っていないの。一つの教室に7人の子どもが、おんなじ先生たちといて、自分の世界でまだグルグル回っている子も、まだ喋らない子も見えちゃうの。申し訳ないばかりになるの。他のお母さんたちから『私がしていない、一体何をしてる?』と聞かれるでしょう。でも何も答えられないんだから」

翻訳記事「自閉症を克服した子供たち」 (その5)

元記事:http://www.nytimes.com/2014/08/03/magazine/the-kids-who-beat-autism.html 
(The Kids Who Beat Autism By RUTH PADAWER, JULY 31, 2014)

一部の人たちは、自閉症を根こそぎなくすことが最良の結果だという考え方を否定しています。自閉症者による自閉症者のための団体である自閉症者セルフ・アドヴォカシー・ネットワーク代表のアリ・ニーマン氏は、「自閉症は治療を必要とする病気ではありません」と語ります。自閉症者に特有の資質が、たとえ世界のほかの人々にとっては変わったもののように見えたとしても、価値あるもので、彼らのアイデンティティーの一部であることを忘れてはならないといいます。たとえば動物学者であり、執筆者でもあるテンプル・グランディンは、自らの優れた空間認知能力や細部への徹底的な集中力を自閉症のために持っているものとしており、そのおかげで名高い人道的屠畜場を設計することができたのだといいます。

ニーマン氏や彼と同様の主張をする人々も、コミュニケーションを改善し、認知・社会性・自立生活スキルを伸ばすための療育については、強く支持しています。しかし、自閉症を丸ごと消し去ろうとすることに重きをおこうとすることに対しては深い憤りを覚えるのです。一体なぜ、自閉症でなくなることの方が、自閉症者として自立した生活を営み、友人と仕事を持ち、社会に貢献する一員として生きることよりも「良い結果」だというのでしょうか。どうして手をヒラヒラさせたり、視線が合わないことの方が、「良い結果」であるかどうかを考える時に、プログラミングができることや難解な数学の問題を解けることや、魅力的な曲を作れることよりも重大なことになるのでしょうか。どんな証拠を元に、自閉症の診断を失った人の方が、自閉症のままである人よりも成功しているとか幸せだとかというのでしょうか。

ニーマン氏は語ります。「私たちの脳の配線を根っこから全て繋ぎ直して、考え方や世界との関わり方を変えるなんてことはできないように思います。そんなことがもし可能だとしても、それは倫理的に正しいことではないでしょう」。彼や同様の主張をする人々は、自閉症とは同性愛や左利きであることと似ていると主張します。違いではあるけれども、欠陥でもないし、病的なものでもないと考えます。この見方は1993年にジム・シンクレア氏という人が、自閉症児の親たちに宛てた公開書状でかくも印象的に著したものであり、のちに神経多様性運動と呼ばれるもの火付け役となりました。「あらゆる感覚や、知覚、思考、感情、出会い、その他あらゆる存在の側面を色付けるものなのです。自閉症をその人から切り離すことは不可能です。そしてもし可能であるにしても、切り離された残りの人は元々の人とは別人でしょう。・・・それゆえに、親が『子どもが自閉症を抱えていなかったらよかったのに』という時、その本当の意味は『私たちから産まれたこの自閉症の子どもが存在せず、別の(自閉症じゃない)子どもが代わりに産まれていたらよかったのに』ということです。・・・あなたたちが治療方法を切望する時、私たちにはこうした声がきこえます」

また、社会が自閉症を押し潰そうと努めることは、同性愛を抑圧しようと努めてきた歴史と軌を一にするものであり、同じように有害なものであるとニーマン氏は語ります。60年代、70年代にロヴァースの研究チームが、「偏向した性役割行動」を示す少年たちに対してABAを用いたことを彼は指摘します。その一人はロヴァースがクレイグくんと仮名をつけた4歳の男の子であり、「女々しい」歩き方・仕草をして「男性的な活動」をイヤがったと記しています。ロヴァースは、「男性的な」行動を報酬で強化し、「女性的な」行動を罰を使って消去しようとしました。この子が同年代の子どもたちと「見分けがつかなくなった」として治療は成功したとロヴァースは考えました。数年後、このクレイグくんはゲイであるとカミングアウトし、38歳の時に自殺します。彼の家族は、この治療のせいだとして非難しています。

神経多様性運動の推進者たちは、行動療法が自閉症者たちの幸福な暮らしのためというよりも、他社の快適さのために設計されている側面があることに苦しめられています。自閉症の子どもはしばしば、手をひらひらさせる代わりに「お手てをそっと」しておくことを報酬で強化されます。奇妙に見えてしまわないようにする、というこの優先順位付けを、運動の推進者たちは迫害的だと感じます。ニーマン氏はこんな例も教えてくれました。「私たちにとって、目を合わせることは不安を引き起こす経験です。なので、誰かの目を見ないようにしようという私たちの自然な傾向を抑え込むことはエネルギーを消耗することであり、そこにエネルギーを費やさなければ、相手の人が何を話そうとしているのかをよりじっくりと考えることに使えるかもしれないのです。自閉症の若者たちの間でとても有名な言葉があります。『ちゃんと話を聞いているように見せることもできるし、それとも本当に話を聞くこともできる』と。残念なことに、多くの人々は私たちに、ちゃんと聞いているように見えることの方が、本当に話を聞くことよりも大事だというのです」。

ゲイの人々が同性愛を「治した」と言われることが、彼らの本当の自分自身を隠しているだけにすぎないのと同じように、自閉症ではなくなったと見られる人はうわべだけ素晴らしくしているのにすぎず、その幻想のために心理的な対価を払っているのだとニーマン氏は主張します。例えば、自閉症運動の推進者たちは、フェインの研究で「最良の結果」とされた人々のうち5分の1に「過剰抑制、不安、抑うつ、不注意や衝動性が見られ、きまりの悪さや時に敵意を抱いている」としてきします。

その一方でフェインはこうした解釈に疑問を投げかけます。確かに自閉症ではなくなった人々も、自閉症とはよく並存する心理的な脆弱さを残していることを認めています。しかしながら、「最良の結果」とされる人々は比較対照グループの高機能自閉症者たちと比べて、抗うつ剤や抗不安剤、抗精神病薬を使う確率が低いと、フェインはのちの研究で見出しています。ロードの研究においても、以前は自閉症だったもののそうではなくなった人が、同等のIQの自閉症者たちと比べて、精神科的問題を抱えることが少ないと、同様に見出しています。

もちろん、こうしたことは自閉症者が自閉症ではなくならなければいけないとか、世界との関わり方を典型的なやり方ではないからというだけの理由で変えなければいけないとかということを意味するものではありません。それでもなお、自閉症からあたかも脱皮していくかのように変化する人々が実在することが明らかな以上、自閉症児の親たちが子どもの自閉症がある日なくなるかもしれないという希望を抱かないはずはないのです。